大阪新四十八願所_第45番_源聖寺
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大阪新四十八願所阿弥陀巡礼 / 第45番「源聖寺」
寺院・諸堂来歴
- 慶長元年(1596)12月、遠誉荷公上人が創建。後に徳川家康の都市計画により現在地に移転した。大阪大空襲の戦災を免れた江戸初期建築の本堂は昭和48年(1973)の不審火により焼失した。
- 寺の名を冠した源聖寺坂は「なにわ七坂」のひとつとして著名である。
本尊
- 本尊阿弥陀如来仏像は安阿弥作と伝えられる2尺5寸の立像である。開山遠誉上人が大阪冬の陣の戦火を避けて海に流したが、後に光を放って海辺に戻ってきたという逸話が「源聖寺縁起」に記されている。
- ご本尊の他に、堂内には延命火除(ひよけ)地蔵尊(鎌倉時代)を祀っている。さらに堂前の救世(ぐぜ)観世音菩薩は「花の観音様」として親しまれ、遠方より参詣される方も多い。
宝物・墓石・行事など
- 庫裏(くり)及び山門は平成20年(2008)登録有形文化財に指定された。
- 江戸時代前中期の書家・狂歌師永井如瓶、江戸中後期に活躍した池大雅門下の絵師福原五岳の墓がある。
- 年中行事として修正会(しゅしょうえ)・春秋彼岸会・盂蘭盆施餓鬼会などをいとなむ。
第45願 「住定見佛の願」(じゅうじょうけんぶつのがん)
もし我れ仏を得たらんに、他方国土の諸もろの菩薩衆、我が名字を聞きて、皆悉く普等三昧を逮得せん。この三昧に住して、成仏に至るまで、常に無量不可思議の一切の諸仏を見たてまつらん。もししからずんば、正覚を取らじ。
(もしわれほとけをえたらんに、たほうこくどのもろもろのぼさつしゅう、わがみょうじをききて、みなことごとくふとうざんまいをたいとくせん。このさんまいにじゅうして、じょうぶつにいたるまで、つねにむりょうふかしぎのいっさいのしょぶつをみたてまつらん。もししからずんば、しょうがくをとらじ。)
【大意】
他の浄土の菩薩達が、私の名前を聞いたならば、みな普等三昧(どこにでも至ることのできる、精神統一された心の状態)を得ることができ、成仏に至るまで無量の諸仏を見ることができますように。
和歌
となふれば 身をもはなれず 月影(つきかげ)の てらすちかひや 袖にあふがん
【訳】
〔念仏を〕称(とな)えれば、この身から離れることのない月の光〔即ち阿弥陀仏の摂取(せっしゅ)の光明〕が我々を照らして下さると誓われている。その誓願を袖ごしに仰ぎ見よう。