大阪新四十八願所_第19番_慶恩院
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大阪新四十八願所阿弥陀巡礼 / 第19番「慶恩院」
寺院・諸堂来歴
- 天正7年(1579)良誉上人が開山。創建の当初は唐物町に所在した。現在地に移転した詳細は不明である。
- 大阪大空襲の被害は免れ、本堂ほか諸堂はほぼ創建時の姿をいまに残している。
- 平成のはじめ境内の地蔵ヶ丘を整備し、北向(きたむき)地蔵尊・六体地蔵尊・水子地蔵尊・願掛け百体地蔵尊を祀る。
- 慶恩院詠歌の「糸竹」は、かつて境内に群生した細身の竹を詠んだものだが、小範囲ながら現在も境内にその姿をとどめている。
本尊
- 本尊阿弥陀仏像は恵心僧都(えしんそうず)源信作と伝わるが、造立年代などは不明である。古来、所願成就に霊験あらたかなる阿弥陀仏として信仰を集めてきた。顔立ちが明瞭で、平安期の阿弥陀仏の特徴を色濃く備える。
宝物・墓石・行事など
- 昭和初期に梅園社が建立した碑が遺る。
- 年中行事として修正会(しゅしょうえ)・涅槃会(ねはんえ)・春の彼岸会・花まつり・盂蘭盆施餓鬼会・地蔵盆・仏名会(ぶつみょうえ)・成道会(じょうどうえ)などの他、法話の集い・別時念仏会を随時いとなむ。
第十九願 「来迎引接の願」(らいごういんじょうのがん)
もし我れ仏を得たらんに、十方の衆生、菩提心を発し、諸もろの功徳を修し、至心に発願して、我が国に生ぜんと欲せんに、寿終の時に臨んで、もし大衆の与に囲繞せられて、その人の前に現ぜずんば、正覚を取らじ。
(もしわれほとけをえたらんに、じっぽうのしゅじょう、ぼだいしんをおこし、もろもろのくどくをしゅし、ししんにほつがんして、わがくににしょうぜんとほっせんに、じゅじゅうのときにのぞんで、もしたいしゅのためにいにょうせられて、そのひとのまえにげんぜずんば、しょうがくをとらじ。)
【大意】
十方世界の人々が菩提心(悟りを求める心)を発(おこ)して色々な善行を積み往生を願ったならば、私はその人の臨終の時、必ず迎えに行くでしょう。
和歌
夢の世を おどろきはてつ むかへくる くもぢにすめる いとたけのこゑ
【訳】
夢まぼろしのような迷いの娑婆世界から目ざめたことであるよ。お迎えに来られた雲の中に澄み響く糸竹〔即ち管弦〕の調べで。