大阪新四十八願所_第40番_良運院
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大阪新四十八願所阿弥陀巡礼 / 第40番「良運院」
寺院・諸堂来歴
- 慶長年間(1596~1615)良運上人の創建と伝わるが、詳細は不明である。元和年間(1615~1624)幕府の都市計画により北船場西縁の浄国寺町から現在地に移転した。
- 昭和20年(1945)大阪大空襲で堂宇の大半を焼失。昭和40年代から50年代にかけて本堂ほか、?枳尼天(だきにてん)社・大黒天社といった諸堂を再建した。
- 境内を入って正面に4メートルほどの大きな日限(ひぎり)地蔵尊を祀る。現在の像は大正5年(1916)造立であるが、江戸時代には宝永5年(1708)に成立したとされる「地蔵四十八カ所巡礼」の札所(ふだしょ)として永く信仰を集めてきた。
本尊
- 戦災の被害を免れた本尊阿弥陀仏像は恵心僧都(えしんそうず)源信作と伝わる。3尺弱の細く優美な立ち姿で、来迎の印を結んでいる。
宝物・墓石・行事など
- 秦河勝(はたのかわかつ)を祖とする雅楽の名家・東儀家の本家歴代の墓がある。大阪市顕彰史跡第186号に指定される。
- 年中行事として春秋彼岸会・盂蘭盆施餓鬼会・地蔵盆などをいとなむ。
第40願 「見諸佛土の願」(けんしょぶつどのがん)
もし我れ仏を得たらんに、国中の菩薩、意に随って十方無量厳浄の仏土を見んと欲せば、時に応じて願のごとく、宝樹の中において、皆悉く照見せんこと、なおし明鏡をもって、その面像を覩るがごとくならん。もししからずんば、正覚を取らじ。
(もしわれほとけをえたらんに、こくちゅうのぼさつ、こころにしたがってじっぽうむりょうごんじょうのぶつどをみんとほっせば、ときにおうじてがんのごとく、ほうじゅのなかにおいて、みなことごとくしょうけんせんこと、なおしみょうきょうをもって、そのめんぞうをみるがごとくならん。もししからずんば、しょうがくをとらじ。)
【大意】
私の浄土の菩薩たちが、十方の諸々の浄土を見ようと思えば、宝樹の中にそれを見ること、鏡のように明瞭に見られますように。
和歌
をちこちの ほとけの国も めのまへに 見せてぞすくふ ちかひかしこき
【訳】
あちらこちらの仏の国を見たいと思えば、目(ま)の当たりに見せて下さることによって〔私たちを〕救って下さる誓願の、なんと尊いことであろうか。