大阪新四十八願所_第35番_浄運寺
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大阪新四十八願所阿弥陀巡礼 / 第35番「浄運寺」
※参拝・朱印の対応は現在のところ、原則として午後2時から5時までとなります。
寺院・諸堂来歴
- 慶長5年(1600)大誉久巖上人が開創した。幕末の安政6年(1859)再建。昭和20年(1945)3月、大阪大空襲により堂宇の一切を焼失した。
- 昭和30年(1955)に再建、昭和60年(1985)には大がかりな改築が行われた。
- かつて薬湯を沸かし近隣にふるまったという記述が残されている。また咳を治めるのに霊験あらたかと伝わる石地蔵が現在もあり、地域医療に密接であった寺院の由緒がしのばれる。
本尊
- 本尊は阿弥陀如来立像。戦災で消失したため昭和30年(1955)の本堂再建のときに新調した。
宝物・墓石・行事など
- 五代目板東彦三郎、二代目尾上菊五郎の墓がある。
- 年中行事としては、春の彼岸会・盂蘭盆施餓鬼会などをいとなむ。
第35願 「女人往生の願」(にょにんおうじょうのがん)
もし我れ仏を得たらんに、十方無量不可思議の諸仏世界に、それ女人あって、我が名字を聞きて、歓喜信楽して、菩提心を発し、女身を厭悪せんに、寿終の後、また女像とならば、正覚を取らじ。
(もしわれほとけをえたらんに、じっぽうむりょうふかしぎのしょぶつせかいに、それにょにんあって、わがみょうじをききて、かんぎしんぎょうして、ぼだいしんをおこし、にましんをえんのせんに、じゅじゅうののち、またにょぞうとならば、しょうがくをとらじ。)
【大意】
十方無量の浄土の女性が、私の名前を聞き、喜び信じて菩提心〔悟りを求める心〕を発(おこ)し、女性の身であることを厭(いと)い離れようとしたならば、命終わった後、再び女性の身として生まれることがありませんように。
和歌
むらさきの 雲のかよひぢ へだてめや さこそおとめの うき身成(なり)とも
【訳】
〔阿弥陀仏は自身が乗っておられる〕紫雲(しうん)の行き交(か)う場所と〔女性とを〕隔てることなどあろうか。たとえ女性のつらく悲しい身であっても。