大阪新四十八願所_第24番_正念寺
トップページ >大阪新四十八願所寺院一覧 >第24番・正念寺
大阪新四十八願所阿弥陀巡礼 / 第24番「正念寺」
寺院・諸堂来歴
- 寛永20年(1643)廊誉岸光上人が創建した。兵火により堂宇を焼失するが、天明年間(1781~1789)に再建。
- 昭和20年(1945)大阪大空襲で山門・観音堂を残し、他の堂宇を焼失。昭和37年(1962)、本堂・庫裏(くり)を再建した。戦火を免れた観音堂には5尺に余る観世音菩薩・毘沙門天(いずれも平安時代後期の作)及び地蔵尊があったが、現在は三体ともに本堂内陣に安置されている。
ー文豪谷崎潤一郎が昭和9年(1936)、離れで『文章読本』を書き上げた谷崎ゆかりの寺としても知られる。 - 山門は天明年間の建立。総けやき造りの貴重なものである。
本尊
- 本尊阿弥陀仏像は本堂再建に時をあわせ京都の仏師によって制作されたものである。
宝物・墓石・行事など
- 観世音菩薩・毘沙門天両像とも、大阪市指定文化財である。
- 明治維新の漢学者十時梅厓の碑、幕末天誅組の乾十郎の墓がある。
- 年中行事として春の彼岸会・盂蘭盆施餓鬼会などをいとなむ。
第24願 「供具如意の願」(くぐにょいのがん)
もし我れ仏を得たらんに、国中の菩薩、諸仏の前に在って、その徳本を現ぜんに、諸もろの欲求する所の供養の具、もし意のごとくならずんば、正覚を取らじ。
(もしわれほとけをえたらんに、こくちゅうのぼさつ、しょぶつのまえにあって、そのとくほんをげんぜんに、もろもろのよくぐするところのくようのぐ、もしこころのごとくならずんば、しょうがくをとらじ。)
【大意】
私の浄土の菩薩たちが、他の浄土の仏を供養して徳を積もうとすれば、その供物(くもつ)が意のままに入手できますように。
和歌
御仏(みほとけ)に みのりの花を 手(た)むけんと むかへばにほふ 木々の下(しも)かげ
【訳】
諸仏に仏法の花を供養しようと〔諸仏の国に〕向ったならば、〔たどりついたのは〕美しい木々の木かげであったなあ。