大阪新四十八願所_第32番_増福寺
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大阪新四十八願所阿弥陀巡礼 / 第32番「増福寺」
寺院・諸堂来歴
- 慶長7年(1602)、良誉冥託上人が創建。本堂は明和5年(1768)に焼失したが、安永2年(1773)に再建した。
- 類焼を免れた山門は、大阪大空襲の戦災からものがれ、創建当時の姿を現在までとどめる。
- 江戸期より上方の出版界に功績のあった檀家が多く、大阪における「版元の寺」「本屋の寺」ともいえる歴史を有している。
本尊
- 本尊阿弥陀如来立像は春日の仏師作と伝えられる。製作年代等は不詳。
- 他に金仏逆蓮華座像阿弥陀仏がある。第五世弁誉上人が元禄14年(1701)、女人往生の願を込めて時の代表的鋳物師に製作を依頼したもの。日露戦争時と昭和21年(1946)に光背が盗難に遭うが、平成21年(2009)、新調修復した。
宝物・墓石・行事など
- 戦国期の武将薄田隼人正兼相(すすきだはやとのしょうかねすけ)、絵入り百科事典『和漢三才図会』を編んだ医師寺島良安の墓がある。
- 年中行事としては、春秋の彼岸会・盂蘭盆施餓鬼会などをいとなむ。
第32願 「国土厳飾の願」(こくどごんじきのがん)
もし我れ仏を得たらんに、地より已上、虚空に至るまで、宮殿楼観、池流華樹、国中のあらゆる一切の万物、皆無量の雑宝、百千種の香をもって、共に合成し、厳飾奇妙にして、諸もろの人天に超えん。その香、普く十方世界に薰じて、菩薩聞く者は、皆仏行を修せん。もしかくのごとくならずんば、正覚を取らじ。
(もしわれほとけをえたらんに、じよりいじょう、こくうにいたるまで、くうでんろうかん、ちるけじゅ、こくちゅうのあらゆるいっさいのばんぶつ、みなむりょうのざっぽう、ひゃくせんじゅのこうをもって、ともにごうじょうし、ごんじききみょうにして、もろもろのにんでんにこえん。そのこう、あまねくじっぽうせかいにくんじて、ぼさつきくものは、みなぶつぎょうをしゅせん。もしかくのごとくならずんば、しょうがくをとらじ。)
【大意】
私の浄土においては、宮殿(くうでん)・池・花などあらゆる物が無量の宝石で飾られ、無量の香りを放ち、しかもその香りが十方世界に薫って、菩薩が修行を増進させますように。
和歌
ふたばより にほふはやしに たちぬるる 袖もかくこそ よもの春かぜ
【訳】
双葉のときからすばらしい香りがする栴檀(せんだん)の林で、〔その香りに心打たれ、〕涙に濡れる袖なのであるが、〔極楽も〕きっとこのようなのであろう。あたり一体にただよう春風にしても。